gin1103
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日々はあけぼの

スタバ大好き病院勤めの人間。日々の出来事や事件を徒然なるままに書いていくスタイル。Twitter:@gin3011

名前も忘れられない患者

人によっては二回目の3連休

もしくは10連休の中日

ただの平日

それぞれあるだろうが、なに食わぬ顔で今日も地球は回っている。

体重はとりあえず、2kgは落ちたので目標達成だ。あとはこの体重をキープする作業。










最近の話。

とある患者を看取った。

病院という環境なので人が亡くなることに大きな驚きはない。
だが、驚かないからいいというものではない。

人が死ぬのなんてもう慣れちゃったよ〜

とベテランぶる医療職が自分は大嫌いだ。






人間には色んな最期がある。



病状の急激な悪化で5分と持たず亡くなってしまう人



濃厚治療の末、消える前のロウソクのように命を削り亡くなっていく人



患者一人一人にエピソードがある。




最近看取ったその人は、

点滴も何もしたくない
迎えに来るのをただただ待ちたい

という考えの人だった。

年齢が高齢ということもあり、本人の意向は尊重され痛みも苦しみも無く、体も綺麗なまま家族に見守られ眠るように亡くなられた。

目も見えなくなり耳しか聞こえない状態だったが、自分のことを認識してくれた。
ありがたい話だ。
少し報われた気がする。



この方は最期に家族がいてくれた訳だが、家族が看取りに間に合わないことも多いし、何より最初から来る気のないパターンもある。






人の最期に立ち会う時にいつも思うのは


どんなに偉く、社会的地位を持っていても最期に看取ってくれる人がいないのは心の底から寂しいことだ。

過去にそういう人もいた。



逆のパターンもあった。



裕福な患者ではなかったし、人に慕われるタイプでもなかったかもしれないが、親の最期には息子娘、孫まで集まり、みんなに見送られた人もいる。



その人の歩んできた人生が最期に現れるのだと常々思う。







自分は医療の現場に立つ様になってから、両親の最期について話し合ったことがある。



命の選択を迫られた時、


あらゆる治療をして生き残るのか


それとも加療せずに最期を迎えるのか


医療的にはまだまだ50.60代は若いカテゴリだが、両親とこういう話はしっかりとしておいた方がいい。

死は突然やってくる。

最期の言葉を伝える時間もくれない。




自分はここ数年、実家に帰った時や懐かしい友人に会った時、別れ際に必ず握手をして帰る。

これが最期かもしれない

という思いを込めて。
会ったことに後悔のないように。



最後の幻想を描いているゲーム10作目にも似たような名言がある。




ま、自分は割と真面目に思っているわけだ。

今日会えた人と明日同じように会えるとは限らない。
遠くに住んでいる人なら尚更だ。
もちろん次もまた会いたいし、会えるとも思っている。
それとこれとは別の感情だ。



会いたい人には会える時に

最近は強く思う。


亡くなってから会いにくる家族で後悔する人は少なくない。

あの時あっておけばよかった。。。

涙している人はたくさんいる。







自分はたくさんの方々を見送ってきた。

患者の名前は覚えてないが、その場面場面は中々忘れることはできない。





しかし、名前も忘れられない患者が1人だけいる。
忘れる時はきっと医療の現場から離れた時だ。

あの時の後悔をずっと自分は引きづることだろう。でも、決して悪いことではない。
今は自分の原動力にしている。





後悔しない最期なんてきっとない。

だが、後悔の少ない最期を迎えさせてあげるのはこちらの仕事だ。
微力かもしれないが力になりたいと思う。

少し初心に帰った気分になった。
気を引き締めて1日を始めよう。


ではでは。