gin1103
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日々はあけぼの

スタバ大好き病院勤めの人間。日々の出来事や事件を徒然なるままに書いていくスタイル。Twitter:@gin3011

"治療をしない"という判断は「それは殺人といっしょ」という人がいる。

医療 病院 スターバックス スタバ



今日のスタバ。
京都烏丸六角店。コンセプトストア。
聖徳太子が建てたと言われる六角堂。
それを眺めながらコーヒーが飲める。
この日は朝早くから京都にいた日でオープン同時に行こう〜と意気込んだら8時オープンで肩透かしをくらった。平日・休日は間違えない様に。
六角堂を真ん前から眺められる席を取るのは結構大変だとかなんとか。1つの観光スポットとしてもいいのではないだろうか。







久しぶりに医療ネタを書こうと思う。





この前、とある患者が運ばれてきた。
心肺停止状態。
心臓マッサージをされながらの搬送だった。


呼吸も止まっていたので気道を確保し、気管内挿管。
人口呼吸器を繋げる。
迅速に点滴をとり、昇圧剤を投与。
血圧をモニタリングするためAラインと呼ばれる動脈に留置する針も挿入した。
それらを全て同時進行で進めていく。

動けるスタッフが揃っていた。
良い医師、良い看護師達。
実に良いコミュニケーションでそれらの処置をこなした。
行った処置内容に珍しさはないが、ここで求められるのはやはりスピード。
心肺停止で運ばれてきた患者を如何に早く的確に処置するか、医療者のスキルにかかっている。


無事に一命を取りとめICUにて濃厚治療を開始した。
お見舞いに来る家族も家族の処置された後の痛々しい姿を見た悲しみと命が繋がったことに対する喜びが入り混じった涙を流していた。
数日後、家族が落胆した表情で話しかけてきた。

「こんな手紙を見つけました。。」

一枚の封筒に入ったそれは、所謂遺言書の様なものだった。

その一文に

"一切の延命治療を望まない"

というものがあった。
この場合の延命治療とは気管内挿管、心臓マッサージなどだ。これらは救命の際は重要になる処置ではあるが、身体的侵襲がかなり大きい。
当然、痛み苦しさを伴う。
それくらいなら傷がない綺麗な状態で最期を迎えたいという人は多い。



この患者は先のことを見据えて自分の考えを書き出していたのだと思う。ただ伝えることが出来なかった。
自分が死ぬ話なんて進んでしたがる人はいないだろう。


いつか、、

いつか。。

いつか言わねば、、、

自分が倒れる前に。。

そう思っていたに違いない。
しかし、病気というものは待ってくれない。


結果としてこの患者は自分の期待した最期を迎えられなかった。

そう思うとやりきれなくなる。
自分達が患者のために、と奮闘したのは本人に言わせれば無意味だった訳である。


これ以上の治療は望まない
と判断したのにも関わらず治療を継続する



こういうケースは少なくない。

パターンはいくつかあって、
今回の様に本人が気持ちの内を家族に打ち明けていなかったり

本人が延命はしないと決めたのに、呼吸困難などの辛さに耐えかね処置を希望してしまったり

家族が苦しんでいる患者本人を目の前にして治療を希望してしまったりなど。


根本的に、緊急時に積極的に治療するかどうかという話は重症軽症に関わらず高齢者の場合はしておくべきだ。そこが曖昧なために、望まない延命をしてしまうことが1番よくない。

医療者側にも説明義務はある。
しかし、ダメな医師だと説明がいい加減だったりもする。

「呼吸が苦しくなったら口に管をいれます。良くなったら管は抜けますから」

確かに良くなったら、管を抜くことはできる。
しかし、それができる可能性やその後の予後について説明するという配慮が足らない医師が確実にいる。

医学的に知識がない家族なら

「管入ってるのは可哀相だけど、良くなったら抜ける訳だからお願いしようか。。。」

となってしまう。


"治療をしない"という判断は「それは殺人といっしょ」という人がいる。
しかし、その治療は果たして患者の尊厳を保てる良い結果になるのだろうか。


口に管が入り、会話もできず
手や足、首にも点滴が入り
患者が痛みや苦しさで暴れると挿入物抜去のリスクがあるため四肢を抑制され
ベッドの上から動き出すことができない
そのまま少しずつ衰弱し最期を迎える


こちらの配慮や説明の仕方の問題で、この状況を作り出してしまうことのほうが"殺人"よりもよっぽどタチが悪いと思う。
もちろん本人や家族がそれでも生きると望むなら最大限治療には取り組む。
が、しかし少なくとも自分はそれを選ばない。
ケースバイケースという言葉で片付けるのは簡単過ぎなのかもしれないが。



前述した患者は、それ以上状態が悪化した場合は治療を継続しないという方向になった。

本人の意思とは違う結果になってしまったが、最期までの時間が与えられた。
家族にしては良かったかもしれない。
声がけすれば少しだけども反応はしてくれる。
「人間」としての最期の関わりができた。
毎日色んな親族がお見舞いにきていた。


最期の日。患者は家族に囲まれて逝くことができた。

家族の表情を見て自分達も少し報われた気がした。


後悔がないなんてあり得ないけど、少しでも心残りのない様にサポートする。

いつまでもこのスタンスを忘れないでいきたい。


さぁ、土日が終われば7月も最終週。
がんばるぞい。


ではでは:)