gin1103
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日々はあけぼの

スタバ大好き病院勤めの人間。日々の出来事や事件を徒然なるままに書いていくスタイル。Twitter:@gin3011

1人で生きていけないことはそんなに悪いことだろうか。自分はそうは思わない。できないからこそ助けてもらうのだ。



今日のスタバ。
桜木町駅にある店舗。
今年度1番の利用回数。駅に隣接していることもあり利用者は時間問わず多い。
ランドマークや観覧車など景色を眺めながらコーヒーを飲める。作業もめっちゃ捗る。
店員さんも皆さん素敵である。
今後もよろしくお願いします。

スタバの写真がなんとあと1店舗分しかない。毎日やっていた誰も待っていないこのシリーズにも終わりが近い。






昨日の記事に続きみたいな感じで今日も書く。

「障害者は人間ではない」

これは障害者を殺害した犯人が言っていた言葉らしい。





ここで考えてみたい。
障害者とは一体なんなのか。


"身体障害、知的障害精神障害、そのほかの心身障害があり継続的に日常生活や社会生活において相当の制限をうけるもの"


という定義があるそうだ。


事故で手足を失ってしまった

目が見えない、耳が聞こえない

先天性の発達障害がある

精神疾患をもち対人関係を築くことができない


などなど範囲は広い。

こういった人々をひっくるめて「人間ではない」と言い切った犯人の思考。いや、もしかしたら広い範囲では見ていなかったかもしれない。自分の狭い世界だけだったかもしれない。
加えて言うなら、19人もの人を意図的に殺害できる精神状態であった時点で犯人も立派な障害者である、つまりは「人間ではない」と自分は考える。






障害者は◯◯できない


というと、すぐ様「差別だ!」と言ってくる人達がいる。しかし、現実を見ているのだろうか。


1人で買い物ができない人もいて

1人で着替え、トイレや食事もできない人もいる

確実に何か手助けがないと生きていけない人達もいることは間違いない。


しかし、1人で生きていけないことはそんなに悪いことだろうか。自分はそうは思わない。できないからこそ助けてもらうのだ。

自分ができないこと、能力として足らないことを他人からサポートしてもらうなんてことはこの世の中にありふれているだろう。
それは障害者には限らない。健常者だってそうだ。
どんなことをしていても必ず誰かが自分を支えてくれている。その逆もまた然りだ。


だからこそ、自分は「障害者」と言われる人を特別扱いはしない。あくまで1人の人間として対等に接する。


小学生の時、事故によって足が不自由な友人がいた。
当時、学校の先生は

「◯◯君には優しくしてあげましょう」
と言い、クラスの子達はやたら構ってあげていた。
クラスメイト達はその子に優しくすることで自分は"良い人"だと認められると思っていたのかもしれない。

自分はその空気が大嫌いだった。

できること、できないことの判断もせずにただ甘やかしているだけの行為はそれこそ"差別"だと思っていたから。

逆に絶対にできないことにその子が遭遇した時は必ず手を差し伸べた。
例えば、車椅子で移動している時に急勾配な坂が現れたり、階段しかないなど1人では対応しきれない状況に陥った場合など。
それは前述した「できないこと」のサポートなのだ。



少し前に「障害者」の「害」という字のイメージが良くないから「障碍者」「障がい者」と書き方を変えようという動きがあった。

言葉は悪いが、本当くだらないと思う。

字の書き方を変えたから何かが解決するのだろうか。
その言葉を使う人達の気持ちが重要なのであって字には大きな意味はないだろう。
そんな点を気にかけている人こそ障害者を''差別"しているのではないだろうか。



なんか思いつらつら書いてたらまとまらなくなってしまった。


世の中には色んな人間がいる。
完璧な相互理解なんて不可能だが、ほんの少しでも歩み寄る姿勢を一人一人が持つことができればなぁと常に思う。


今日も猛暑かな。
がんばるぞい。


ではでは:(