gin1103
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日々はあけぼの

スタバ大好き病院勤めの人間。日々の出来事や事件を徒然なるままに書いていくスタイル。Twitter:@gin3011

家族が家族のことを診るのは当たり前と思うかもしれないが、世界はそんなに優しくない。医療サイドに任せっきりで自分たちは知らんぷりなんてことも少なくない。

日記 病院 医療 ALS


ここがどこかすぐわかった人とは仲良くなれる。
ちょっと前に同じ様な入り方をした気がする。







そろそろ医療ネタを書こうと思う。
このブログのコンセプトが最早どこかに行ってしまった感がある。普通の日記書きすぎな件。
定期的にこういうのはさもうと思う。





さて、「ALS」という病気をご存知だろうか。
少し前にアイスバケツチャレンジなるものが流行ったから脚光を浴びた疾患と言ってもいいかもしれない。

なのでどんな病気なのかというのは割と知っている人も多いかもしれない。
発症率は10万分の1と言われている。これが高いか否かは置いておいて、誰にでもなり得る可能性があるのだ。60〜70代での発症が多いというデータもある。


自分だけでなく両親にもALSになるリスクはあるのだ。そうなった時のことをイメージしてほしい。





この病気になると、自分の身体を思う様に動かすことが困難になる。

手足が動かなくなり、座ることも困難

食事を飲み込むこともできなくなり

自身で呼吸をすることも不可能になる。

そして、呼吸が困難になった場合1つの決断に迫られる。気管切開をするかどうかだ。


自分の力で酸素を取り込めなくなったらどうするか。
理屈は簡単。自分で吸えないのなら機械、もとい人工呼吸器から酸素を押し込んで貰えばいいのだ。そうするためには喉の部分に穴を開ける。そこから機械をつなげ酸素を送る訳だ。

これを用いることで寿命を伸びる。
しかし、自身の活動エリアが究極に縮小されてしまうのはいうまでも無い。酸素ボンベないし人工呼吸器がないと生命を維持できない。


と、まぁここまでは割と知っている人もいるだろう。


この処置をして一生病院に入院しているのなら選択肢としてありだと思う。もちろん、家族本人の希望がそれならば。

しかし、今のご時世「入院患者を早く退院させる&入院患者を多くとる」という回転率を上げていこうという流れがある。つまり、長期間の入院はできないのだ。
そうなると自宅で患者を見ていく必要がある。
ALSに限らず、こういったケースはこれから先もっと加速度的に進むはず。



では、気管切開をした患者を家で見る場合。


穴を開けた気管部から定期的に吸引を行うことが必要になる。また、トイレにもいけないのでオムツを使用、もしくは尿道に管を通しておしっこの管理をする。こちらも定期的に交換を必要とする。
食事に関しても胃瘻といった部分から適宜注入する必要がある。もちろん歯磨きもやらなければいけない



etc...



結論何が言いたいかというと、こういった患者が自宅で生きていくには「家族」の協力が絶対的に必要になる。


もちろん在宅サービスの使用はできるといっても時間は限られる。そちらに任せっきりにはできない。

例外ケースだが、保険を使わない「自費サービス」というものは存在しており、相当な額を支払えば24時間365日フルタイムで対応はしてもらえる。お金が有り余っている人はその選択肢も無しではない。


家族が家族のことを診るのは当たり前と思うかもしれないが、世界はそんなに優しくない。医療サイドに任せっきりで自分たちは知らんぷりなんてことも少なくない。


そんな家族の協力状態や本人の展望を考えた時、第三者視点でどう考えても気管切開をしない方がいいパターンがある。

しかし、医療サイドからは強制はできない。
あくまで本人と家族が決めることだ。


例えば、本人が気管切開を望んだとしても家族のサポートが得られない環境であればするべきではない。
まさに生き地獄の状態に陥る。
双方にとってそれはよくない。


管理ができないのなら決断しなければいけない。
気管切開をしない選択を。


しかし、それは本人とっては死刑宣告だ。

これをためらってしまう人もいる。
だが、この決断は早くしないと土壇場での強制二択を迫られるパターンに陥る。苦しむ姿を見て意見を変えてしまうことも少なくはない。



ここまで読んで

「世の中には家族のことを大切に思わない人もいるんだなぁ」と感じた人もいることだろう。

ただ、それには色んな事情が隠れているかもしれない。医療者が関わる前に色々と家族内での問題があったとしたら一概に介護をしないことが悪いとは言い切れない。


例えば、自分の事をずっと虐めていた同居人の姑が要介護の状態になったとして嫁が快く介護をするだろうか。

例えば、言うことも聞かずにいつも自分の好き勝手にやっていた人間性に問題ありの祖父が急に倒れて要介護になったとして、邪険に扱われ続けた家族は率先して介護に取り組むだろうか。


結論、その段階に至った時に本当の家族の"絆"というものが見えるのだろう。安っぽい言葉に逃げてしまったが。家族とは、信頼という言葉の一段階上の次元で繋がっていたいと思う。



非協力的な家族の事しか書かなかったが、献身的な介護を続け、家族が気管切開をしながらも笑顔で生活を送っている人達も勿論いることを付け足しておく。


人にしたことは自分に返ってくる。
常に誠実さを忘れずに生きたい。


ではでは:)